2016年03月24日

    父親を殺したいと思った時に書いて怒りを沈めようと思った文章3。

    世の中に、親殺しの殺人事件は沢山あるが、みんな、こういう気持ちから生まれるのかもしれない。殺すというのは犯罪だけど、そうすることでしか救われない魂などが、あったのかもしれない。そして、それを合法的に救ってくれるという手立てはない。

    だったら、殺人計画を立ててみるのは、どうだろうか?どのように殺すか?作業手順に誤りを作り、ばれないように、ミスをして、相手を屋根の上から突き落とすとか、そういうシーンに愉悦を感じるしか、今の私には救いはないのかもしれない。

    キーボードを叩いていることで、少しだけ魂が救われる気持ちがした。本当にした。人を殺すイメージが、私の魂の救いになるのだから、滑稽なものだ。親殺し。そして、それで救われる魂。本当のことだ。本当のことだ。親を殺せば、魂が救われるのだ。

    殺さなくても、相手の魂、いや、魂なんてないのかもしれないが、相手が変わる予知がないのであれば、相手が死ぬのを願うばかりだ。そもそも、このような苦しみを兄が全くしてないという部分も腹立たしい。それは、先に家を出た特権なのかもしれないし、社会的に自律しているという強さなのかもしれない。強さなのかもしれない。

    それにも、もう限界が来ている。殺す前に逃げ出す方が大事なのかもしれない。逃げ出したい。逃げ出す場所を探したい。ギーグハウスとか、良いのかもしれない。親を殺す前に外に逃げ出す。

    書いている様子です。

    【お察し下さい】怒りに震えながら、感情をキーボードに書き表すタイピング音【音フェチ動画実験】 - YouTube
    https://www.youtube.com/watch?v=VWg7Xe7cn0w

    心が限界を迎えた時、私はパソコンを叩きます。




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    posted by ウェブサービス侍 at 14:50 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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